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ちょっと用事でパリの郊外に行って来て、せっかくなのでノートルダム寺院のあたりを一時間くらい散歩したんだが、やっぱりパリは良く出来た街だわ。それでもって女性が綺麗すぎる。金持ちがビバリーヒルズに住むとか聞くと若干腹が立つが、中山美穂がパリに住んでいるってのは、ちょっと見直さなきゃならないかもしれないな。

http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-16018659

ということでKoblentz経由の列車がこのオペレーションが終わるまで全部ausfallenみたいだね。しかし今年は同僚もよく言っていたけれど、乾燥しているっていうか雨が降らないらしい。昨日遊びに行ったTribergでは結構雨が降っていたし、これで少しは水位も回復するかな?

平べったい氷と氷をくっつけるとその氷がくっつくのはなんでだろう、つう感じでミッシャがプレゼンしていた。これなんでだろうなってことを帰りながら学生の人が話していて、彼女はPressure induced crystallizationじゃないのってなことを言っていたんだけれど、PressureがなければIceはくっつかないってことなのか暫し考える。多分、準性的なプロセスでも氷はくっつくと思うんだよな、僕は。

さて、更新しない間に政権まで変わってしまったな。ギリシャでもデモがあったし、イタリアもようやく変態ベルルスコーニが首相を辞めたか。

そんなもんか。

最近、寝れなくて少し睡眠薬を飲むようにしている。なんだろうな、これが日本の社会なのか、少し息苦しいよ。。。

そろそろ3週間か4週間かな、ここで得たかった物は大体得られたような気がする。

しかし、いろいろな人に会って、いわゆる科学を真面目にやっていると自負している人々に会って、僕はいつも「僕はビジネスマンだからかもしれないけれど云々だと思うんだよね」というような微妙な枕詞を使い続けていたんだよな。いや、これはこれで良いのさ、相手はそれで相対的に「自分は真面目にビジネス抜きで科学をやっている」と思うことができるのなら、自己満足に浸れるだろうしね。

だけれど、少し思慮深い人ならちょっと僕の言うことが分かってくれたかもしれないなぁという期待もどこかにあるんだよな。「僕はビジネスマンだからいろいろなターゲットを浅く広く見回しているだけかもしれないけれど」とか言ったかな、これってアイロニーを含んでないかと言えば、結構含んでいる。つまり「一つの物事を金科玉条のように崇め、実際の理論化学の広さをちゃんと認識してないんじゃないの?」ということを遠回しに言っているつもりもあるんだよな。共同研究についても「僕はビジネスマンだからかもしれないけれど、アウトプットが1+1以上の相乗効果をいつも期待してしまう」と言ったのだけれど、別にビジネスマンじゃなくても、共同でやるからには相乗効果を狙わないと駄目に決まっている。相乗効果がないなら、単なるなれあいでしかない。

ここらへんの原点を忘れてしまうのは、要するに一つのものをつくり出すという精神が少し欠けているからかもしれない。Industryを馬鹿にする科学者は大勢いるけれど(利益ではなく高尚なものを生み出すのが自分達の役目だと認識して、その実ごみ箱行きの話しかしない科学者(=僕)もたくさんいるのだけれどね)、その終着点が利益であろうと高尚な知識であろうと、一つのものをじっくり生み出す努力ってのはさほど違いはないと思う。

まぁいいのさ、みんな好きなようにやれば。んで、僕は僕の好きな方向で、いろいろやれば良いし、僕のことが嫌いなのに、好きになってくれなんて言わないし。

深夜番組を見ていたら、小島武夫が出ていた。まぁ、もちろんそっち系の番組なんだが。

「なんでそこでパーワン切ったの」「ああ、雀頭確保してチイトイツの受けもねらっていたのね」「そういう見方もあるよね、そうだね」

最近のAKBなんかには微妙についていけないが、深夜TVのぬるい流れは変わってなくて、少し安心した。

日本に帰って、改めて日本ってのはいろいろしがらみの多い社会だなと感じた。同級生とか、会社の先輩とか、並木二丁目の方とか、そういう人との会話(=飲み)は本当に気楽で良いんだけれど、やっぱり目上の人と飲むのはそれなりにね。あるときは角が立たないように、仮に角が立っても大丈夫なように名前を隠しながら(まぁそんなことしなくても良かったのかもしれないけれど)立ち話をしたり、いろいろなご批判を甘受したり。自分と違う意見を聞くのは大事なことなんだろうけれど、でもな、日本にいたら萎縮しちゃうばっかりで疲れる。

やっぱりね、敬語なんかの影響もあるのかもしれないけれど、目上の人とは対等にもなれないし、基本的に不完全なものとして見られているのを強く感じさせられるし、そんなのじゃ相乗効果なんか出ないよなぁと思うんだよね。日本的には「愛のムチ」みたいな考え方もあるんだろうけれど、それも行き過ぎると問題だしね。まぁ、そもそも相乗効果なんか狙っていないのだろうけれど。

そういう意味で、他の人はどうであれ、少なくとも僕は各個人の長所を活かしながら相乗効果を狙っていく仕事をしないと意味がない。激励という名の萎縮作用なんかより、ドラッガーの名言でも復唱している方が今の僕にはよほど意味がある。

最近、よく「ネ申」ってのをよく見る。あれ、一応褒め言葉なんだろうけれど、神って言う側の心理としては、到達できないほど凄いってことなのか。しかし、なんだろうな、すごく違和感がある。なんつうか、最近の「リーダーシップ待望論」なんかと心理的なところで密接にリンクしているように思えてならない。つまり、神みたいな到達できない存在を認めて、それが自分の境遇を救って欲しいというような願望が、「神」みたいな言葉を受け入れやすくしているのかもしれないな。心の隙間に入り込む宗教の話ともちょっと近いものがあるようにも思う。

でも、やっぱりなんかついていけないな。へたれだから人生面白いって面もあると思うんだけれどな。少なくともcreepはそういうことだろ。